No.711035

艦これファンジンSS vol.14 「お悩みむっちゃん」

Ticoさん

むつむつして書いた。やっぱり反省していない。

というわけで週刊ペースでお届けしたい艦これファンジンvol.14をお届けします。
とはいえおかしいなあ、今週末はお休みするつもりだったんですが。

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2014-08-24 18:09:43 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:2103   閲覧ユーザー数:2065

 潮風を感じながら、彼女は海原を見つめていた。

 なめらかに滑るように海面を駆けながら、彼女は戦闘の緊張で鼓動が高鳴るのを感じていた。海面に立つような者が、ただの女の子であるはずがない。身にまとった独特の衣装と腰から展開する鋼の艤装が、そのことをさらに如実に示している。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 ふっつりと肩で切りそろえた茶色い髪、均整のとれたそれでいてグラマラスな体つき、だがなにより色香を漂わせた顔つき――面持ちに緊張の色を浮かべながらも、女性としての魅力を充分に感じさせる。

 彼女が、はっと目を見開いた。主機を増速して急加速する。

 次の瞬間、風を切る音がしたかと思うと、彼女の航跡に水柱が立つ。

 彼女はきりっと表情を締めると、ひとりごちた。

「さすがね――この距離でねらってくるなんて」

 艶っぽい声音が、思わずはずむ。

 スペックではやはり相手が格上ということか。だが積んだ練度なら変わらないはず。

 演習とはいえ、いや、あの子との演習であればこそ、手を抜くわけにはいかない。

 口元にふっと笑みを浮かべると、彼女は駆けながら艤装を構える。

 相手が撃ってきたことでその位置も知れる。後の先をとったのはこちらだ。

 艤装の砲が轟音と共に一斉に火を吹く。

 砲の爆風に髪を揺らしながらも、彼女はなお美しかった。

 戦艦、「陸奥(むつ)」。

 それが彼女の艦娘としての名である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 彼女たちは戦力単位であったが、同時に年頃の少女たちでもある。戦いの場に身をおいてなお、いや、だからこそ、乙女の悩みとは無縁ではいられなかった。

 

 柔らかなお湯が降り注ぐ。白い裸身でそれを全身に浴びながら、陸奥は演習の汗を流していた。きめの細かい肌がお湯をはじき、無数の雫となってなだらかな曲線を流れ落ちていく。目を細めてシャワーを楽しみながら、陸奥は隣のボックスに話しかけた。

「今日はまた一段と気合が入っていたじゃない、大和(やまと)」

 話しかけられた方は、優美な長身に長い黒髪をしていた。面立ちは端整で凛としているが、陸奥のような色気よりも、むしろ衆目を集める華のようなものを感じさせる。

 大和は目を閉じてシャワーに打たれながら、半ばつぶやくように答えた。

「もっと強くならないと……」

 それを聞いた陸奥が肩をすくめてみせる。

「あなたは充分に強いと思うけど?」

 陸奥の言葉はお世辞ではない。現にこの鎮守府では、大和は“ビッグスリー”と並び称されるほどの高い練度を誇る。そして記憶を受け継いだ艦がそうであったように、艦娘としての大和は驚異的と言えるスペックを有していた。

 だが、大和には納得した様子はなかった。

「まだまだです。現に演習では引き分けたではありませんか」

「あらあら? そんなにわたしに勝ちたかったの?」

「……陸奥さんに勝てないようでは長門(ながと)さんにも勝てないでしょうから」

 からかうような口調で訊いてみせた陸奥に、大和はそう答えた。

 大和が口にした艦娘は、この鎮守府では“艦隊総旗艦”の二つ名を持つほどの実力者である。認めざるをえないが、長門の練度は、陸奥や大和のずっと先をいっている。

 だが、陸奥にはわかっている。大和が練度だけを問題にしているのではないことを。

「そんなに……長門姉さんみたいに強くなりたい?」

「ええ。強くありたいです――提督のために。どんな場面でも落ち着き払っていて、提督がどんな方でも、迷わず受け入れられるだけの強さがほしいです」

 大和の横顔は真剣そのものだった。陸奥は目を細めてその顔を見つめた。

「ちょっと変わったわね、あなた」

「そうですか?」

 陸奥に言われて、大和がきょとんとした顔をしてみせる。陸奥はうなずいた。

「ええ、前だと『長門さんに負けたくない』って言っても、どこかふわふわした感じだったわね――でも今はその言葉に芯が入っているみたい」

 その言葉に、大和は、ふっと微笑んでみせた。

「ありがとうございます……前の戦いのおかげでしょうか」

 そう言うと、大和はシャワーのコックをひねり、降り注ぐお湯を止めた。

 その大和の左手の薬指に、きらりと銀の指輪が輝く。

「お先にあがります。今日はおつきあいありがとうございました」

 軽く頭を下げると、大和はシャワールームを出て行く。

 その彼女を横目でちらと見送りながら、陸奥はひとりごちた。

「提督のために、強くありたい、か……」 

 先の限定作戦から、たしかに大和は変わった。前は周囲の期待と自身のスペック、それに対してもたらされる実績とのギャップにもがきながらもどこかそれを飲み込みたがらない節があったが、いまはそうではない。自身がまだ大先輩である長門には及ばないことを認めたうえで、その境遇に甘んじまいと努力を惜しまないようになった。

 本番に弱いというジンクスをもっていたが、先の限定作戦の最終局面――AL作戦とMI作戦に主要艦娘が出払っている隙をついた深海棲艦の鎮守府侵攻という一大事において、見事に迎撃に成功してみせた自信が彼女の態度に変化をもたらしたのか。

 それとも、その一大事に垣間見えた提督の思いがけない一面を知って、ただぼんやりした思慕を寄せているだけではいつまでも進展はないと悟ったのか。

 陸奥は自分の左手をふと見つめた。薬指に光る銀の指輪。提督との特別な絆、ケッコンカッコカリの証。大和も、そしてもちろん長門も嵌めているものだ。鎮守府の“ビッグスリー”と呼ばれるのは練度だけに限った話ではない。ただ、同じ立場とはいえ、それぞれに提督との関係性も違えば、その関係に納得しているかも異なる。

 長門と提督はお互いに信頼も厚く、まずベストパートナーといっていい仲だ。

 大和は長門の二の次という立場に納得できず、もっと頼ってほしいと考えている。

「……じゃあ、自分は? わたしは提督にどう見てほしいのかしら」

 陸奥はそう自問して心の中にもやもやした感情が渦巻くのを感じた。長門と同じように扱ってほしいと思いつつ、長門には及ばないと自分でも納得している。であれば身を引くか、一線を引いて“二の次”に甘んじればよいものを、それでは自分の胸が不意につまるような思いをするのはなぜだろう。

 シャワーのコックを閉じて、お湯を止める。ふるふると頭を振って、陸奥は答えのでない問いを頭から追い払おうとした。雫が宙に舞ってきらめく。

「――やめましょう。考えてもしょうがないことだわ」

 もう何十回目かになる決意を抱いて、陸奥はシャワールームを出ようとした。

 

「……じーっ……」

「――――!?」

 陸奥は、向かいのシャワーボックスから自分を見つめる四対の視線と目が合い、思わずぎょっとした。いつからそこにいたのか、ぱっと見には陸奥よりずっと年下に見える少女たち――そろって一糸まとわぬ姿ばかりだが、もちろん艦娘だ――が、こちらをじとりとした目で見ている。

「みんな、聞いてた?」

「もちろん聞いたわ」

「聞こえちゃったのです」

「聞こえたね」

 それぞれにさえずるように言う。彼女たちを見て、内心で思わず陸奥はひるんだ。

(この子たちは……!)

 鎮守府では知らぬ者とていない、エース級ではないが、その実力は折り紙つきで――しかし、別の面で有名な駆逐艦の艦娘たちである。

「想い人のことで悩むなんて陸奥さんもやっぱりレディなのね」

 長い黒髪に、“小高く止まった”感じの艦娘――暁(あかつき)が口を開き、

「あら、だってケッコンしてるんだもの。提督が気になって当たり前じゃないの」

 濃い茶色の髪に朗らかな印象の艦娘――雷(いかづち)がそうさえずると、

「でも大和さんと違って……なんだか足踏みしている感じなのです」

 淡い明るい茶色の髪に気弱そうな感じの艦娘――電(いなずま)が応え、

「そうだね。なんだか問題から逃げているみたいだ」

 白い長い髪に、凪いだ面持ちの艦娘――響(ひびき)が締めくくる。

 四人揃っての言いたい放題に、陸奥はうめいた。

「……第六駆逐隊……」

 悪名高き、といって良いだろう。

 駆逐艦の中でも、とりわけこの四人はなによりその「悪行」で知られていた。

 通常、艦娘には「格」というものがある。戦艦や巡洋艦といったカテゴライズがほぼそれに該当し、通常、戦艦や空母が一番の格上、重巡がそれに続き、軽巡がその次、駆逐艦は一番の下っ端である。見た目も戦艦や空母の艦娘が大人びているのに対して、駆逐艦はどうしても年端のいかない見た目である。艦娘の間に士官や兵卒といった明確な階級はないのだが、通常、この格付けで指揮命令系統が決まるといってよい。

 実際には古参艦かどうかの「ベテラン歴」や、各個人の力量によって、多少の上下はあるのだが、とにもかくにも、駆逐艦の艦娘が戦艦の艦娘にたてつくことはない。

 ところがこの四人の二つ名は「戦艦泣かせの第六駆逐隊」というのだ。

 個々の艦娘は素直で性格も良い子たちなのだが、四人揃うと、とにかく口さがなく遠慮というものを知らない。戦艦だろうと空母だろうとはばかりなく物申す態度には容赦というものがなく、嘘か真か金剛姉妹の誰かが泣いてしまったという逸話さえあるほどだ。

 ちなみに同じ駆逐艦に対してその矛先が向けられることはなく、あくまでも格上の艦娘にのみ振るわれるというあたりが、逆に被害に遭う艦娘の方が泣き寝入りせざるをえない状況を生み出していた。

「い、いつから聞いてたのよ」

 陸奥がひるみながらもそう言うと、四人は顔を見合わせ、

「全部じゃないわよ」

「大和さんが『もっと強くならないと』っていうあたりからかしら」

「ぬ、盗み聞きする気はなかったのです!」

「でもわたしたちに気づかずに話し出すんだからね、仕方ないよ」

 そう、口々にさえずるのを聞いて、陸奥は思わず顔に左手を当てた。

「それってほとんど全部じゃないのよ……」

 先にシャワールームに誰か入っていたおぼえはないから、自分達の後で来たのだろう。ただ、挨拶の声をかけられたおぼえもないから、こっそりと入ってきたに違いない。脱衣室に残してきた服から、先客が大和と自分だと知っての上で、だ。

「それで? わたしが何から逃げているですって?」

 陸奥が指の隙間から軽くにらみつけると、第六駆逐隊はまた揃って顔を見合わせ、今度は雷が陸奥を指差しながら口を開いた。

「その指輪はなに?」

 すると暁がうなずきながら、

「ケッコンカッコカリの証よね」

 その言葉に響が続き、

「提督との特別な絆。誰でももらえるわけじゃない」、

「それなのに陸奥さんは提督とあまり近くない感じなのです」

 響の言葉を継いで電が口を開く。

「そうよ、なんだか提督から逃げているみたいなのよ」

 最後に雷に戻ってきて、人差し指に気合をこめながら、言い放つ。

「……言ってくれるじゃないのよ」

 陸奥はそうこぼすと、ふうと息をついた。

 この子たちのペースに乗せられてはだめだ。思わず顔をおおってしまった手を離し、額に張り付いた前髪をすこし払いのけ、余裕を取り戻したかのように言い返す。

「――まあ、お姉さんともなるとイロイロと悩みがあるものよ。提督だって単純な人じゃないし、そう簡単に仲が深まるわけじゃないわ」

 そう言って、微笑んでみせた陸奥は、しかし、

「陸奥さん、本当にそれで満足してるの?」

 暁の言葉に、思わず頬が軽くひきつるのを感じた。

「満足してたらあんなひとりごと言わないのです」

 そう電が言うのに、響がうなずいてみせる。

「うん。このままじゃだめだって分かってるんだとは思う」

 その言葉を継いで、雷が真剣な眼差しで問いかけてくる。

「陸奥さん、このままでいいと思ってるの?」

 単なる揶揄や毒舌であれば陸奥も受け流せたかもしれない。だが、雷たちの言葉はシンプルなだけに、そしてその眼差しが真摯であっただけに、陸奥の胸に刺さった。

「……このままでいいと思ってるわけないじゃない」

 四人には聞こえないように、そっと陸奥はつぶやいた。

 心の底に押し込めたはずのもやもやした感情がまた渦巻き始めるのを感じながら。

「――わたしが提督をどう思おうと、どう付き合おうと、わたしの勝手でしょ。あなたたちにとやかく言われる筋合いはないわ」

 陸奥は表面上、そう切って捨ててみせると、じとりとした目で四人を見た。

「そもそもわたしの恋路にあなたたちがなんで口を出すの?」

 その言葉に、暁、電、響、三人の視線が雷に集まる。

「ケッコンした艦娘は幸せでいてほしいのよ」

「そうなのです、でないと雷ちゃんが悲しむのです」

「この子なりに思うところがいろいろあるのさ」

 思わず三人から言われた雷の顔が、かあっと赤くなるのが見てとれた。

「ちょ、べつにわたしは提督のことなんてこれっぽっちも……!」

 雷がうろたえながら、口ごもらせる。その様子にちょっとだけ陸奥は溜飲を下げて、四人にそっと近づき、顔面を朱に染めた雷の額をそっと指ではじいた。

「ふうん、今度、提督に会ったら伝えておくわね」

「な…………!」

 雷がさらに顔を赤くして言葉を失うのに、陸奥は投げキッスを送ってみせた。

 そのまま今度こそシャワールームを後にする。話を盗み聞きされた不快感はもう残っていなかったが、あの言葉だけは脳裏から消えようとしなかった。

 ――陸奥さん、このままでいいと思ってるの?

 

 

 鎮守府の廊下を陸奥はつかつかと歩いていた。

 「平常心よ、平常心」と言い聞かせつつ、ついつい足音が高くなってしまう自分がどうにもみっともない。雷たちに言われた言葉がどうにも頭に残っていて、一度は心に押し込めたもやもやがまた鎌首をもたげてうねっているのだ。

(――甘味処で何か食べていこうかしら)

 気分転換を図るのもいいかもしれない。そう思ったときだった。

 不意に、陸奥は足を止めた。

 視線の先に、“二人”を見つけたからだ。

 長い黒髪を流した凛々しい武人風の雰囲気をまとった艦娘――姉の長門(ながと)。

 そして白い海軍制服に身を包んだ男性――提督だ。

 二人は何事か話し込んでいた。一見して仲睦まじく見えるが、提督の顔も長門の顔にも笑みは浮かんでいない。提督が手にしている書類を元に、真剣な面持ちでひたすら言葉を交わしている。

 きっと仕事の話だわ、と思い、陸奥はため息をついた。これで見るからにいちゃついてくれればまだ自分にとっては分かりやすいのだが、提督と長門の仲は仕事と無縁ではいられないのか、目にする限りでは、恋人らしい会話を交わしているのを見たことはない。

 そして――陸奥にとっては実に悩ましいことに――仕事の話をしているときこそ、実はこの二人にとって最高の睦みごとなのだ。他の艦娘には分からなくても、長門の妹である陸奥には、そしてまがりなりにも提督とケッコンしている自分には、そのことがよくわかっていた。

 じゃあ、自分にも同じように仕事の話を振ってほしいのか――そう自問して、陸奥は思わずかぶりを振った。それは何か違う気がするのだ。自分は長門にはなりきれないし、その代わりでもない。長門の戦略眼は提督に匹敵するほどだが、それ以上に、長門と同じに扱ってほしいと思いつつ、まったく同じ扱いにされるのは何か自分の沽券にかかわる気もするのだ。

 では、自分はどうしたいのか、どうしてほしいのか――そう思い、うつむいたとき。

「おお、陸奥じゃないか」

 不意に長門の声をかけられ、陸奥は顔をあげた。

 長門がこちらを見かけて手を軽くあげ、提督も続いてこちらを見ている。

 逡巡したのは束の間、心中の悩みを顔に出すまいと表情に余裕の笑みを浮かべてみせた陸奥は軽くうなずき、二人に歩み寄った。足を進める間に目を細め、二人をからかうような口調で声をかける。

「おつかれさま――あらあら、また色気のない話?」

 その言葉に長門が腕組みしてうなずく。不満そうに軽く頬をふくらませて、

「艦娘の育成計画について意見具申していたのだがな、提督がうんと言わない」

 長門の言葉を受けて提督が肩をすくめてみせる。

「長門の言うことはもっともだが、優先順位と言うものがある」

「ほう。空母戦力の育成が最優先というのか」

「新加入の雲龍(うんりゅう)を重点育成したいし、千歳(ちとせ)と千代田(ちよだ)の改装も済んだことだし、ここは一息に一線級の戦力に仕立て上げたい――先の限定作戦で空母戦力がかつかつだったことは君も知っているだろう」

「かつかつというのなら駆逐艦と軽巡の層こそ優先課題だろう。水雷戦隊をもう一個、実戦可能練度まで引き上げたほうがいい。AL作戦で駆逐艦の配備が追いつかずに遠征組まで動員したのは忘れたとは言わせないぞ」

「もちろん忘れてはいないさ。だが、先に空母の練度を整えてから――」

「それでは次の限定作戦に間に合わないのではないか? いまからでも演習に組み込む艦娘を見直して――そうだな、戦艦が二人いる片方を入れ替えるとか」

「この機会に金剛姉妹の練度もあげておきたいんだよ」

「それを言うなら扶桑と山城もどうにかすべきだろう」

 喧々諤々と言葉を交わして、陸奥の目には徐々に提督が押されているのが見えた。

 長門は艦娘のまとめ役として、演習の総監督もつとめている。実際に現場に近いぶん、提督とはまた目に付く問題点が違うのだろう。提督が大枠を決め、長門が意見し、それを入れて提督が修正する――そんなことの繰り返しで普段の鎮守府は運営されている。

 提督に意見できる、ということ自体、希少な立場なのだ。通常、提督は艦娘の意見を省みない。そこは提督と艦娘との間にある厳然とした壁であり、提督の方から引いた線でもある。それを乗り越えられるほどの信頼を得ている艦娘は、鎮守府に数えるほどしかいないのだ。

 自分はどうなのかしら、と陸奥は思う。

 自分がここで意見を言って、提督は入れてくれるのだろうか?

 だが、しかし、陸奥が口にしたのは別の言葉である。

「ほら、やっぱり色気のない話じゃないの。そんな話をしてるから、来たばかりの新入りの駆逐艦娘なんかが『ケッコンカッコカリって仕事が増えることなんですか?』なんて頓珍漢なことを聞いたりするのよ」

 陸奥がそう言うと、提督がややばつの悪そうな顔をして、

「いや、しかしだな――俺と長門はそういう仲じゃないし、ことさらに何か艶っぽい話をするのも、変な感じだしなあ」

 その言葉に、長門もうなずいてみせ、

「そうだぞ。わたしと提督はそんな仲ではない」

 きっぱりと言い切る二人に、陸奥はふうっと息をつき、

「まあ、あなたたちがそう言うなら、それでいいんだけどね……」

 そうして、ふと髪をかきあげた。ふわ、と動いた空気に、長門が軽く目を丸くする。

「――なんだ? 陸奥から良い香りがするな」

「そ、そう?」

「どれどれ――おお、本当だ。良いにおいがするな」

 提督がついと顔を近づけて鼻をうごめかす。陸奥は思わず顔を赤くして、

「ちょっと提督! なにやってんのよ!」

「あ、すまん……つい気になってな」

「提督……それはセクハラだぞ」

 長門があきれ顔で言うのに、提督が頭をかきながら、

「面目ない。だが本当に良い香りだぞ。香水でもつけているのか?」

 提督の質問に、陸奥はそっと目を細めて、くすぐるように言った。

「シャワーあがりよ……なあに、シャンプーの香りがそんなに良いの?」

 その言葉に、提督の顔が心なしか赤くなったように見えた。

「そ、そうか、シャワーか、うん、そうか……すまん」

 わざとらしく咳払いをすると、提督は手にしていた書類を陸奥に差し出した。

「すまんが、陸奥、これを執務室に置いてきてくれないか――俺は雲龍の様子を聞きに、赤城(あかぎ)のところへ行ってくる」

 と、言いかけて、提督が数歩足を踏み出し、振り返り、

「長門、君の意見は検討する。だがもう少し待ってほしい」

 そう言い残すと、提督は足早に立ち去っていった。

 

「……逃げたな」

 長門がぼそりと不穏な声で言うのに、陸奥は思わず苦笑いを浮かべた。

「ごめんなさい、長門姉さん。逃げるきっかけあげちゃった?」

「うん、もう少しで提督を説き伏せられるところだったのにな」

 そう言うと長門は肩をすくめ、陸奥に微笑みかけた。

「しかし提督も男なんだな。ああいうことをしてしまうとは」

 なにげない長門の言葉を、陸奥は聞き逃さなかった。

「――長門姉さんにはああいうことしないの?」

 陸奥の問いに、長門がうなずいてみせる。

「少なくとも香りがどうとか言われたことはないな」

「髪を褒められたりはしないの? 長門姉さんの髪は長くて綺麗なのに」

「そういえばそういうこともないな」

 長門の言葉に、陸奥は黙り込んだ。この二人はどこまで色気がないのか。

 ややあって、陸奥はそっと長門に訊ねた。顔をうつむけ、上目遣いで、

「長門姉さんと提督は――その、どこまでいったの?」

 陸奥の問いに、長門はきょとんとした顔になってみせた。

「どこまでというかどこにもいってないが――ああ、このあいだ、提督の恩師の墓参りに同行したが」

「そういうことじゃないわ」

「どういうことだ?」

 分かっていないふうの長門の言葉に、陸奥はふうっと息をついた。この姉はこういう人だった。こういう人だからこそ、あるいは提督の信頼を得たのかもしれないし、あるいは色気のない会話をしてしまうのかもしれない。

 陸奥は提督の去っていった方を見やりながら、長門に問うでもなく言った。

「提督は女性には興味ないのかしら……」

「どうだろうな。戦いの場にあって己を律しているのだろう。艦娘は女性ばかりだけに、提督は提督なりに踏み外すまいと気をつけているのかもしれない」

 長門がそう答えるのに、陸奥は、ふうんと相槌を打ってみせた。

 陸奥の中で、先刻からのもやもやと共に、納得できない何かが渦巻き始めていた。

 

 執務室は鎮守府の一角にある。最上階でも最大級でもないが、最高に敷居の高い場所には違いない。艦娘が執務室を訪れることはない。ごく少数の秘書艦をつとめる艦娘、そして伝令役の艦娘を除けば、執務室へ呼ばれるということは三つの場合しかない――重要な任務を伝えられえるときか、提督から表彰されるときか、さもなければなにかしでかして提督に叱咤されるときだ。いずれも特別な場合である。

 陸奥にとっても、それは例外ではない。執務室のマホガニーの扉を廊下の先に見出し、陸奥は思わず唾を飲み込んだ。執務室の主はいまはいない。そうとわかっていてもやはり微妙な緊張感に満ちている。

 陸奥が軽くうなずき、執務室へ歩いていこうとしたときである。

「何をしに行くのかしら?」

「執務室に何の用なのかしら?」

「提督さんはいまいないのです」

「何か探すならチャンスだよね」

 シャワールームで聞いたさえずりを再び耳にして、陸奥は思わずじとりとした目で振り返った。廊下の曲がり角で第六駆逐隊の四人がひょこっと顔を出している。お揃いのセーラー服に身を包んで、興味津々といった表情を浮かべている。

「あらあら、なあに、あなたたち。また何かの用なの?」

 あきれ声で言って見せる陸奥に、真っ先に答えたのは響だった。

「提督だって男の人――きっとそういうものがあるはず」

 ぼそりと言った言葉に、電が思わず顔を赤くしてみせる。

「はわわ、そういうことを考えるのはよくないのです」

 その言葉を受けて暁がこほんと咳払いし、

「ま、まあ、どうかと思うけど、提督も男の人なら仕方ないわね」

 そして、少しもじもじしながらも、雷があっけらかんと、

「えっちなもののひとつやふたつ、あったっていいじゃないの」

 そこまで言って、四人揃って、きゃーと黄色い悲鳴をあげる。

 陸奥はうんざりして、肩をすくめた。

「あなたたち――わたしが何をしに執務室へ来たと思ってるのよ」

 その問いに、四人がそろってさえずりだす。

「あら、レディとしては気になるものじゃない」

「提督が本当に艦娘になにか変なこと考えていないか」

「仕方ないのです、提督だって男の人なのです」

「確かめるならいまがチャンスだよ」

 そう言うと、四人揃ってにやにやした笑みを浮かべる。

 その笑みに、陸奥は、はたと気づき、思わずため息をついた。

「もしかしてあなたたち――」

 陸奥の言葉に、第六駆逐隊の四人はそろってうなずいてみせた。

「見てたのです」

「聞いちゃったわ」

「陸奥さんが魅力的だから、ああいうことをしたんだわ」

「同感だね。他の艦娘じゃああはいかないと思う」

 この子たちは――陸奥はあきれかえった。何が面白いのか、何をたくらんでいるのか、シャワールームからずっと自分につきまとっているらしい。

 腰に手を当てて胸を張り、陸奥はきつめの口調で言った。

「からかうのも大概になさい。いまは許してあげるけど、本当に怒るわよ?」

 陸奥の言葉に四人が口々に、

「陸奥さんが怒るとどうなるのかしら?」

「この第六駆逐隊にかなうと思ってるの?」

「みんな、あまり言っちゃだめなのです」

「でもどんなお仕置きされるか気になるね」

 そうさえずるのに、陸奥はにやりと黒い笑みを浮かべて、言った。

「――あなたたちの部屋を家捜しして、貯めこんでいる間宮券を全部探し出して、ゴミだし場の焼却炉で燃やしてあげるわ」

 その言葉に、第六駆逐隊は目を丸くして顔を見合わせ、きゃーと悲鳴を上げて、

「それだけは許してほしいの!」

「間宮券を人質につかうなんて卑怯だわ!」

「すぐに戻って隠し場所を変えるのです!」

「こうしちゃいられないね」

 口々にそう声をあげると、ぱたぱたと足音を立てて駆け去っていく。

 その様子に陸奥は満足げに息をついたが、はたして彼女たちがこれで引き下がるかというといまひとつ自信がもてなかった。

 

 マホガニーの扉をそっと開けて中をうかがうと、案の定、執務室には誰もいない。

「おじゃましまーす」

 陸奥はそっとそう言うと、中に入った。磨き上げられた艶やかなマホガニーの床、少し大きめの応接セット、壁際に置かれた書棚、部屋の奥には重厚な執務机が鎮座し、その背後には図上演習盤が掲げられている。

 飾り気のない実用一辺倒の部屋で、唯一、部屋の主の趣味らしきものがうかがえるとしたら、桐箪笥の上に乗った、ガラスケースに収められた艦船模型だろうか。陸奥はもちろんそれが何か分かった――かつての戦争を生き残った戦艦長門の模型だ。このあたりに、提督の長門への想いの深さが垣間見えて、陸奥は心の中のもやもやが一段とわだかまるのを感じた。

「やめ、やめ。考えても仕方ないわ」

 陸奥はそうひとりごちると、頭を振って、もやもやを追い出そうとした。

 執務机に歩み寄ってみると、その上は書類が山と積まれている。

「提督も大変よね……」

 鎮守府も一種の軍隊であり、秩序だった組織である。当然ながら付随して発生する事務仕事は半端な量ではない。限定作戦が終わり、ある程度落ち着いたとはいえ、まだまだ後始末は残っているのだろう――書類をざっと見渡す限り、そういう印象を受けた。

 陸奥はしばし迷ったが、書類の山を少しずつどかしてスペースを作ると、そこに提督から預かった書類を置いた。

「これでよし、と――」

 言いさして、ふと提督の椅子に目が留まった。

 陸奥は思わずきょろきょろと周りを見回すと、そっと椅子に近づき、腰掛けてみた。

 硬すぎもせず、やわらかすぎもせず、程よい感触を陸奥は背中に感じた。

 提督がいつも腰掛けている椅子だと思うと、なんだかこそばゆい。

 陸奥は少し照れて顔を赤くして――不意に我に返り、頭をぶんぶんと振った。

「なにをやってるのよ、もう!」

 気になる人の椅子に座ってみるなど、まるで子供の所業ではないか。自分のしたことに我ながらあきれて、椅子を立とうとして、陸奥は机の引き出しがほんの少し開いていることに気づいた。

 しばしためらい、好奇心と自制心がせめぎあい――興味の方がまさった。

 そっと、音を立てないように、引き出しを開く。そこに入っていたものを見て、陸奥は思わず目を丸くした。

「これは――わたしたち?」

 はたしてそれは艦娘たちの写真だった。演習でも戦闘でもなく、鎮守府の日常の中の艦娘を撮影したものらしい。カメラを趣味にしている艦娘もいるから、おそらくは彼女たちから入手したのだろう。

 陸奥は思わず、写真をめくっていってみたが、盗み撮りしているようないかがわしいものはなかった。無意識にそういうものがないか疑っていた自分に気づき、陸奥は思わずふるふると頭を振ってみせた――さっきの第六駆逐隊に言われたことがそんなにひっかかっているのか、我ながら情けない。

 めくっていくと、長門の写真も、大和の写真も――そして自分の写真もあった。

 演習あがりなのか、上に向けた水道の蛇口から水を飲んでいる写真だった。

 上半身を倒してお尻をつきだして水に口をつけているポーズはそれなりに色っぽいとはいえ、しかし大騒ぎするほどもないように思える。もともと長門型の艦娘の衣装は露出が多めなのだ。色気が出てしまうのは仕方ないか。

 写真に写っている艦娘はどれも生き生きとしていて、明るさに満ちていて――それだけにいわゆる「オカズ」にできそうなものはなかった。男性としての欲求を満足させるというよりも、家族の写真を手元に置いておくような、そんな印象を受ける。

 いっそ艦娘のいかがわしい写真でもあれば自分は納得できたのだろうか。

 そう思いつつ、写真をぱらぱらとめくっていくうち、陸奥は「それ」を見つけた。

 他とは明らかに違う、少しふちが擦り切れた古い写真。

 写っているのは一人の少女だ。艦娘ではない、人間の女の子だ。

 こちらに向けて屈託のない笑顔を向けているその少女は、艦娘の誰かに似ているようでもあり、それでいて誰にも似ていなかった。

「これ……誰なの?」

 陸奥がそうつぶやいたとき、マホガニーの扉がきしむ音がした。

 あわてて引き出しを閉め、陸奥は椅子から飛びのいた。

 はたして入ってきたのは提督である。

 執務机のそばに立っていた陸奥を目にして、やや目を丸くして、

「なんだ、陸奥。まだいたのか」

「あ、ええと。わたしもちょうどいま来たところなの」

 とっさにそうごまかしてみせる。内心で冷や汗をかいたが、提督は特に気にしたふうも気づいた様子もなく、うなずきながら、

「いや、ちょうどいいところにいた。すまんが、ちょっと手伝ってくれるか」

 提督の何気ない言葉に、陸奥は思わず首を軽くかしげた。

 

 鎮守府にはいくつも倉庫がある。

 艦娘の運用に欠かせないもの――燃料や弾薬、食料、修理用の資材、それに装備。

 戦うのは艦娘の役割だが、そのための準備を整えるのが提督の役割といえる。つまるところ、兵站を滞りなく行き届かせ、いざという時の作戦に備えて備蓄を万全にしておくのが提督にとって最大の仕事である。

 陸奥と提督は、とある倉庫へ来ていた。手にはクリップボードと書類。

「員数が合わないという報告があがってきてな。このあいだチェックしたばかりだから、そんなことはないと思うんだが、もしそうなら一大事だからな」

 提督の声は真剣そのものだったが、陸奥は内心で脱力していた。

 わざわざ自分に声をかけるから何事かと思えば、誰にでもできる仕事ではないか。自分だから声をかけたというわけではなく、たまたま目に留まった「手が空いてそうな艦娘」が自分だったというだけだ。

「誰か新人の駆逐艦の子にでも頼めばいいんじゃないの?」

 そう言ってみたが、提督は首を横に振ってみせた。

「対潜哨戒演習に出払ってしまってな。戻ってくるのは夕方だ。明朝には遠征組が出発するからそれまでには確認を済ませておきたい。それに新人では思わぬ見落としがあるかもしれない。俺の目と、あときちんと信頼できる艦娘の目で確かめたい」

 提督の言葉に、陸奥はしゃんと背筋が伸びる思いがした。これも仕事だ。

「なにか見返り、あるのかしら?」

 からかうつもりでそう言ってみせたが、提督はまじめくさった顔で、

「終わったら甘味処でなにかおごろう」

 そう言われて、陸奥はふむとうなずいてみた。それならわるくない。

「わかったわ。じゃあ手早くすませちゃいましょう」

 

 

「ひい、ふう、みい、と……」

 てきぱきと装備を数えながら、陸奥は手元の書類にチェックをつけていく。

 なるほど、特殊なものが多くて、種類も多様だ。これを新人に任せるのは少々つらいかもしれない。その意味では提督の人選は適切だったらしい。

「……おかしいわねえ」

 陸奥はそうひとりごちた。

 員数が合わないのではない。合っているのだ。

 数え間違いかとも思ったが、これで二周目である。

「提督? そっちはどう?」

 そう声をかけると、高く積み上げられた箱の向こうから提督の返事がかえってきた。

「いや、こちらも合っているな――妙だ」

 ややあって、提督が鉛筆でこめかみをかきながら、こちらへ歩いてくる。

「彼女たちの報告ではたしかに員数が合っていないという話だったんだが」

「その報告をあげてきた子たちって、誰なの?」

「ん? ああ、第六駆逐隊だが」

 提督の答えに、陸奥はぞわっといやな予感がするのを感じた。

 まさかあの子達でもこんなことまでするはずが。いや、だが、しかし。

「提督、すぐにここを出ましょう」

 陸奥はそう言うや、提督の手をつかんだ。

「ん? おい、どうした、陸奥」

「いいから、早く!」

 勢い込んで、陸奥は提督の手を引いて駆け出そうとしたとき。

 出入り口の方で重い音がして、次いでがしゃんと閂がかけられる音がした。

 陸奥が荷物の壁の迷路を抜けて出入り口へ向かうと、はたして扉は閉められていた。

「ちょっと、まだ中にいるのよ!」

 陸奥が扉を叩いてみせたが、応答はない。

 かすかにくすくす笑う声と、ぱたぱたと駆けて行く音が聞こえた気がする。

「~~~~っ!」

 どん、と大きく扉を叩いて陸奥は膝から崩れ落ちた。

「あの子たち……っ。間宮券燃やすだけじゃすまないわよ」

 怒りに陸奥がうめいたところへ、

「どうした? ――ああ、閉じ込められたのか」

 落ち着き払った声で提督が言う。

「閉じ込められたのか、じゃないわよっ」

「まあ、落ち着け。慌てても仕方ないさ」

 提督は肩をすくめてみせると、手近な壁に背をもたれさせかけて座り込んだ。

 そうして、自分の横の地面をぽんぽんと叩いてみせる。

「陸奥も座ったらどうだ。立っているよりは楽だぞ」

 悠然とした様子の提督に、陸奥は軽く頬をふくらませた。

「どうしてそこで提督の隣指定なのよ」

「離れて座ったら、それはそれでさびしいとは思わないか」

 そう言って、提督がふっと笑みを見せる。

 その顔に、思いがけず、陸奥は胸がときめくのを感じた。

 

「陸奥には心当たりがあるみたいだな」

 お互いにしばらく黙りこくっていたが、ややあって提督が声をかけてきた。

 陸奥は口をとがらせて、

「ええ、おおありよ。まったくあの子たちったら――」

「なぜこんなことをしたんだろうな」

「それは――」

 提督が天井を見上げながら言うのに答えようとして、陸奥は言いよどんだ。

 悪意をもってやった、というよりも、お節介のたぐいなのだろう。どんな形であれ、提督と二人っきりにしてやった、というわけだ。

「……本当に、もう、大きなお世話なんだから」

 陸奥は答える代わりにそうつぶやいた。

 提督は不思議そうな顔でこちらを見たが、ことさらそれ以上に問おうとはしない。

 代わりに大きく息をつくと、提督はやや感慨深げに言った。

「そういえば、陸奥と二人きりになったことはあまりないな」

 その言葉に、思わず陸奥は自分の声がとがるのを感じた。

「二人きりにしてくれたこと、ないじゃないの」

 自分でそう言って、陸奥はふと提督と自分の間を見つめた。

 まだたっぷりと隙間がある。しばし考えて、陸奥はそっと身体を寄せた。

「どうした?」

「……離れているとそれはそれでさびしいじゃない」

 提督の言葉を借りて、陸奥はそう答えた。提督は咳払いをしてみせ、

「それにしても、陸奥は本当に良い香りがするな」

「あらあら。どんな香りがするのかしら?」

 すいっと顔を寄せて聞いてみると、提督は目線をそらして、

「言えるか、そんなの」

「あら、残念」

「だが、長門からはしない香りだな」

「……そうなの?」

 陸奥が首をかしげてみせるのに、提督はうなずいてみせた。

「ああ。長門からは潮風のにおいがする――海戦のにおいというか、戦場のにおいというか。君のように女らしい香りはしないよ」

「ふうん……それはわたしは喜んでいいのかしら」

 からかうような、くすぐるような声音で訊ねると、提督は再び咳払いをしてみせ、

「少なくとも女らしさという点では君の方が上だよ」

 その言葉に、陸奥は思わずふっと目を細めた。

 座ったまま身を動かして、さらに提督との距離を詰める。

「……なにをしている」

「おいやかしら?」

 不審そうな問いに、ささやくように陸奥が答える。

 提督はというと、軽く身じろぎしてみせたが、しかし、離れようとはしない。

「……提督は――女性には興味がないのかと思っていたわ」

「俺だって男さ。こんな女の子ばかりの職場で平然としてるほど悟りをひらいているわけじゃない」

「でもそんなそぶり見せないじゃないの」

「コツは目を見て話すことさ。極力、身体は見ないようにする」

「それだけ?」

「あとは――君たちを兵器として見ることさ」

 提督の声は乾いていて、平静そのものだった。

「……それってつらくない?」

 陸奥は眉根をひそめて、そう訊ねた。

「来た当初はな、辛かったよ。なにしろ艤装をつけていても女の子にしか見えないんだからな。そんな艦娘を戦場に送り出すことも、それを見送ることしかできないのもな」

 提督は、はあっと息をついた。心中の何かを吐き出すようだった。

「いまもそれは同じだが、割り切りができたというか――うん、少しは慣れたかな」

「……うそばっかり」

 提督の言葉を陸奥はそう言って否定してみせた。

「じゃあ、なんであんな写真を引き出しに隠してるのよ」

 陸奥はそう言って、さらに身体を寄せた。服越しに密着して、お互いの熱が伝わる。

 提督はというと、やや声をひっくり返して答えた。

「な、写真――!? おい、陸奥、執務室で何をしてた?」

「これはわたしの想像だけど」

 トクトクと提督の鼓動が伝わるのを感じながら、陸奥は言った。

「艦娘を戦場に送り出した後、執務室であの写真を見てるんでしょう? そして祈っているんでしょう? 無事に戻ってきますように、生きて帰ってきますように、って」

 言いながら、陸奥は自分の鼓動も高鳴るのを感じた。

 それは提督にも伝わっているに違いない。

「でなきゃ、あんな写真があることの説明がつかないもの」

「全部見たのか」

「見ちゃったわ」

 陸奥は提督の方を向いて、ちろりと舌を出してみせた。

「ぜんぶ、ね」

 その言葉に、提督が目を丸くするのが、陸奥にはすぐそばで見えた。

 提督の瞳をまっすぐに見つめながら、陸奥はささやくようにたずねた。

「ねえ、提督――あの写真の子、だれ?」

 陸奥は不意に自分の声に熱がこもるのを感じた。提督が踏み入ってほしくないだろう場所に、自分は足を踏み入れようとしている――罪悪感を感じながらも、それは興奮をおぼえざるをえないものだった。

 提督は、軽く目をそらしながら、しばしためらった後、答えた。

「――昔の、思い出さ」

「――そしていまも忘れられない?」

 間髪いれずにかけられた陸奥の言葉に、提督はばつの悪そうな表情をした。

「……提督がわたしたちを『そういう目』で見られないのって、結局、その子のことがわすれられないからじゃないの?」

 陸奥はつとめて優しい声で、提督に言った。

「わたしたちを女性として見ちゃうと、思い出のあの子に不義理をするんじゃないか――そう思っているんでしょう?」

 その言葉に提督はしばし黙っていたが、やがて、ふてくされたように、

「――君には関係のないことだよ」

 そう、言ってみせた。

 その様子に、陸奥は内心であきれ、同時に――彼をいとおしく感じた。

 提督の耳にそっと唇を寄せ、息をふきかけるようにささやく。

「関係あるわよ。わたしの左手には指輪がはまっていることを忘れたの?」

「――それは……そうか、そうだったな」

 ため息をつくような提督の声。陸奥は続けてささやきかけた。

「その子のこと、わすれられないんだ?」

「わすれられるわけないだろう。大事な思い出だ」

「……わたしが、わすれさせてあげてもいいのよ?」

 その言葉は、自分でも思いがけないほどするっと出てきて。

 その言葉を、口にした途端、陸奥にはわかってしまった。

 自分がどうしたいのか。提督にどうしてほしいのか。

 提督が不思議そうな顔でこっちを見つめる。

 陸奥は、そっと微笑み、提督の首に腕を回そうとした。

「おい、陸奥……おい?」

「こういうときはおとなしくしなさい。女に恥をかかせるものじゃないわ」

 熱っぽくささやきながら、陸奥は提督の目をじっと見つめた。

 提督の瞳が揺れ――だが、つぎにはっきりした光をたたえる。

 自分の首に回そうとしていた陸奥の腕をそっと提督がつかみ、おろさせる。

「提督――?」

「無理はするな、陸奥」

「無理なんかしてないわ。わたしはしてあげたいようにしただけ」

「そういうことじゃなくてだな」

 言い返す提督の身体に、再び腕を巻きつかせ、陸奥はささやいた。

「わたしには提督が無理をしているように見えるわ」

「あのな、おい」

 提督が陸奥の肩をつかんだ、そのときだった。

 陸奥がよろけたのか、提督が力をいれすぎたのか。

 おおむけに倒れこむように陸奥が体勢を崩した。

 勢い、提督がその上からおおいかぶさるようになる。

 はたから見ると、まるで提督が陸奥を押し倒したように見えただろう。

「…………」

「…………」

 陸奥と提督の視線が絡みあう。

 ややあって、陸奥がそっと目を閉じた。

 何かをうながすかのように、かるくあごをそらせる。

 頬を軽く朱に染め、目を閉じる陸奥の顔を見て、提督が思わず唾を飲み込み。

 そして――

 

「――二人とも、無事かーっ!?」

 扉ががらがらと勢いよく開く音と共に、凛とした大音声が倉庫に響いた。

 陸奥は提督の下に横たわったまま、提督は陸奥の上におおいかぶさったまま。

 二人して、声の主の方へ振り向いた。

 長い黒髪を振り乱して、長門がそこに立っていた。

 その後ろに並んでいるのは頭を抱えたままぴいぴい泣いている第六駆逐隊の面々だ。

 長門はというと、目を丸くして、二人の様子を見ている。

 しばし無言のときが流れたが、ややあって沈黙を破ったのは長門だった。

「――提督」

 言葉は短かったが、有無を言わせない迫力があった。

「はいっ」

 提督が稲妻に打たれたように、立ち上がった。

 長門がつかつかと歩み寄る。凛とした面立ちは変わらず、ただ目に怒りをたたえて。

「わかっているだろうな」

「もちろんだとも」

「よし、よく言った」

 長門は満足気にうなずくと、ひゅうっと息を吸い込み、渾身の拳骨を提督の顔面にたたきこんだ。まともに受けた提督は文字通りそのまま吹き飛び、装備の格納された箱の山に突っ込み、そのまま崩れた箱の下敷きになった。

 一連の流れを呆然と見ていた陸奥だったが、ややあって、くすりと笑った。

 

 提督が担架で運ばれていくのを、陸奥と長門は見送った。

「数日は皆の間で噂になってしまうだろうが、仕方がないか」

 真面目くさって長門が言うのに、陸奥はにこにこと笑みをうかべてみせた。

「いいじゃないのよ、別に」

「よくはない。なんであんなばかなことをしたんだ」

 責めるような長門の言葉に、陸奥はふるふるとかぶりを振った。

「ばかなことじゃないわ。もう少しで提督落ちたのに」

「それがばかなことだと言ってるんだ。もう少し自分をだいじに――」

「だいじだからこそ、提督にあげたいと思ったんだけどな」

 陸奥のその言葉に、長門が思わず目を丸くする。陸奥はウィンクして、言った。

「長門姉さん、前に言ったわよね。お揃いじゃいつまでも勝てない、って」

「たしかに……」

「そのとおりよ。長門姉さんみたいにわたしはなれない。大和のようにもがんばれない。だけど、そんなわたしでも勝てる方法がようやく見つかったの」

 陸奥の声は晴れ晴れとしていた。

「わたしは提督の“男”に賭けるわ。あの人の心の隙間、わたしが埋めてみせる」

 そう言うと、陸奥は長門の目をじっと見つめた。

 長門がその視線を受け止める。やがて、うなずき、

「なら、わたしは提督の“男気”に賭けよう」

 長門も陸奥をじっと見つめながら言った。

「感情に負けて艦娘に手を出したりしない矜持にな」

 そういうと、長門がにやりと笑ってみせる。陸奥も、微笑んでみせた。

 長門がつくったにぎりこぶしに、陸奥が自分のにぎりこぶしをこつんとぶつける。

 やがて、二人は声をたてて、愉快そうに笑い始めた。

 

〔了〕


 
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